○人と自然との間、境目、つなぎ目。グレーゾーン。
住んでる人、つくった庭師をうつす鏡。
○「記憶のインスタレーション」
○施主さんのの個性、願望の表現方法の一つ。
○まだ、関わり始めたばかりなので、よく分かりませんが、
『時間』ですかね。
季節が変わるのを感じる時間とか
家族が集まる時間とか
造る側からいえば、お客さまと0から作り上げていく時間とか、
そういういろいろな時間を楽しむものかなと思います。
○心地よい空間
くつろげる空間
安らげる空間
安心できる空間
緑を感じる空間
時間を忘れさせる空間
お気に入りの空間
季節を感じる空間
自然を感じる空間
小さな自然を感じる空間
身近な自然を感じる空間
幸せを感じる空間
趣味の空間
豊かさを示す空間
趣味を主張する空間
自己主張できる空間
忙しい毎日をリセットできる空間
自分をリセットできる空間
非日常的な空間
忙しい毎日から解放される空間
手入がいる空間
費用のかかる空間
畑が出来る空間
子どもと遊べる空間
楽しめる空間
作り手として、考えさせられる空間
緊張する空間
○「暮らしの一部」
○「庭」ってゆえば、やっぱり思いつくんは、あんなでっかい庭園じゃのーて自分家にある庭やなー。今はそんなん身近にないけど、昔住んでた家の庭は、今思い起こせば自分にとって玄関出てすぐにある「緑」「土」、何より「遊び場」やったなー。よー遊んだ。
○「自分です」
○「自分自身を作り上げてくれるもの」
○「生きること」
○つなぐもの
土地には本来あるべき姿が、刻み込まれています。そのまま、ほっといたら、
時間は掛かるだろうが、勝手にエエ具合になるはずです。
しかし、人が生きていく中、自分たちの都合で、刻み込まれているはずの土地
の姿に抗い、あっちやこっちの土地に手を加えることになります。家を 建てた
り、道路をつくったり、ネズミーランドでなくてディズニーランドをつくった
り、東京タワーや通天閣をつくったり、とかです。
庭とは、土地の本来あるべき姿を感じ取りながら、自分たちの都合を織り込み
つくられる空間であると考えます。たぶん、あるべき姿を感じ取る能力 がヤバ
イ状態だと、植物がことごとく枯れたり、なんか、妙に居心地が悪かったり(こ
の部分は、人によって違ってくるかもしれませんが、)すると思 います。
そして、庭をつくるという行為には、なくしたもの(土地の本来あるべき姿)
への、無意識の贖罪意識があるはずです。でも、まったく無い人もいる かもし
れません(こういう人が多いと、人類は早めにヤバくなるかも)。
でもって、話しがぶっ飛んでしまいますが、締めくくりに入ります。
わしにとって「庭」とは…、
「庭」とは…、
わしと『アレ(ココいろんなものが入ります。)』、『アレ(ココいろんなもの
が入ります。)』と『ソレ(ココいろんなものが入ります。)』をつな ぐもの
であります。
○「旅」
○「実用的でありながら格好よく、時間と共に自然の力で変化し成長を楽しみにする場所。」
○永遠のテーマですが、最近の自分のテーマは『家に居ながら自然を感じること』で
す。ありきたりなことですが
ぼくは、家とは基本的に子供を(家族を)そだてていく場所であると思ってます。
(独身のかたやお子様がいらっしゃらない方も
もちろんいますが)子供が育っていくうえで木の木陰や風のざわめき、虫がいたり、
樹はこんなにおおきくなったり、石の手触りはこんなんで、
古くなったら、ここはこんなに味がでて・・・いろんな自然現象を感じることができ
ます。家(ここでいう家は敷地内の居住スペースで庭も含む)
自然を感じることができるのは庭だけですもんね。
自分も、育った庭には、小さな庭があって、今でも遊んだりした記憶や虫がいた
り、近所の猫のふんがあったり・・・いろんな面白いことや
いやなこと・今に思えば勉強になったこと・・・思い出は宝です。
とにかく、便利になりすぎて麻痺している、『感じること』を大切にできる空間は
庭だと思います。
○癒しと日常生活のスペースです。」洗濯物、植物、ペット、日光浴、BBQなどなど、くつろぎの場所として、精神的、身体的にも癒される空間です
○庭とは?
自然と人工物の境にある興味深い存在であると同時に、理解するのが難しい存在です。
森(林?)に分け入って、気に入った眺めと、気に入った木のある場所に家を建てる。それが自分の中で理想の庭です。
それを現代の都市生活の中に落とし込んでいくという、とても面白い仕事だなと思います。
自然、木、草、土、水、家、都市。
この関わりを可能な限り知りたいです。
○自分自身にとっての庭は、その時その場所で表現できる自分の全てだと
思います。ありったけの経験・知識・技術を駆使してその時の最高のものを表現した
いと思っています。今日よりも明日、明日よりも明後日と日々進歩したいと思いま
す。
未来に感動されるよい空間(庭)がたくさん作り出せるようにいろんなものを吸収し
たいと思っています。作庭(庭)はその過程のものであり、自分を磨くための手段だ
と思っています。
○『 人生 』 言葉として思いつくのはこれです。
子供にも、『おとうさんなんてそれしかないよね』ってボソッと言われました。
○⇒季節の移り変わりを一番身近で感じられる空間です。
いくら開発が進んでも庭は自然と同じリズムで表情を変えて、四季の移り変わりを感じることができる大切な空間なので、形は変わってもこれからも無くなることは無いと思います。
○僕にとっての庭は「ハイパーリンク」です!
庭を通して、何かとつながる。
その「何か」って………ん~何ですかねぇ。
歴史とか芸術とか…
そんな大仰なものの場合もないことはないですが、
恋人だったり、オムライスだったり、花火だったり、
ぼぉーっと庭を眺めていると、知らないうちに、
ブワワワワァ~~っと頭の中がダイブして、
知らない世界に浮かんでる…
んんっ!?「ハイパーリンク」なんてカッコつけましたが、
「どこでもドア」ですね(笑)
○私は、自然の山や川の風景が好きです。
そこに、違和感なく佇んでいる家屋や暮らしている人が好きです。
私事ですが、リバーカヤックもしていまして、川の流れる音、風の音、太陽の優しさ、川面の目線からの、木々や草花、石や土・・・
季節ごとに変わるそんな風景が、そのまま庭になっているように感じることがあります。
そんな自然の風景や音や光・・・ひとがそういうもので、穏やかになれたり優しくなれたり・・・そういうつながりが庭であればいいな、と思います。
もちろん、そこにはそこで暮らすひとの生活や家屋があったうえでのことですが・・・。
それから、私は、大きな仕事でなくても、ささやかなもので、庭仕事に関わらせてもらえて、誰かが少し幸せになってもらえたら、庭の木々や草花、石たちが気持ちよく存在してくれたら・・・そう願っています。
もうひとつ。
和歌山も昨年台風のおかげで、山や川や畑や家屋・・・色々なものが被害を受けました。
私は、できる範囲ですが、お手伝いにしばらく行かせてもらいました。
和歌山はみかんや梅の産地です。
枝にかかっているごみひとつひとつ、畑の泥一杯一杯、片付けていくなかで、たまたまこんな仕事をしている自分ができることもあるんだと思いました。
それと同時に、きれいなシャガや猫柳やモミジや苔石・・・そんなものがあった川辺が、崩落した道路や倒木で、めちゃくちゃになっているままなのも事実です。
でも、ひとがいるから、少しずつでも、前に進んでいるのだと思います。
ひともとても大きい悲しみやつらさがあっても・・・自然とひととのつながりは、本当に大事にしていけたら・・・そう思います。
すみません。
話がまとまらなくなりました。
庭・・・それは、ひとが少しでも幸せでいられるよう、自然とのつながりを気づかないうちに、求めているそんなかたちなのではないかな・・・。
そこに、本当にひとそれぞれのやり方や作り方や考え方が作用して、存在しているのだと思います。
○・やすらぎ、笑顔
・自然との共生
・意匠
・生業
○僕にとっては仕事であり、趣味です。人生をかけた迷宮です。人を幸せにできるものです。
お客様にとっては、ファッションや音楽のような自由で楽しいものであって欲しいです。人間交差点であって欲しいです。一瞬を大切に感じてもらえる場であって欲しいです。
○答え: 遊び場
人間がどんなに頑張って庭を造っても、自然の雄大さや景観には敵いません。
ではなぜ人は庭を造るのか?
・自然などのオリジナル(原型)を模倣したいという人間の習性のため
・自然と人間の共同作業の中に価値観を見いだしている
・時代ごとの文化と自然との交わりを具現化している
・精神世界を現実世界のものとして表現するため
...etc
では自分はなぜ造る?
・自然への挑戦
・草木や石などとの対話を楽しむ
・心と身体で、自然の中の自分を見つめることで生かされている己を知る
・自分自身と対峙するため
・今の時代の縮図を表現したい
...etc
○潤いであり、様々なものが繋がる空間です。
○『繋ぐ場であり無限の可能性を秘めた空間』です。
◆繋ぐ◆
ウチとソト、人と植物、ご近所さんやペットとの関係、
自然と、風景と、街並みと、
未来へと繋がる命…
庭があることで、いろんなものを繋いでくれてる気がします。
◆無限の可能性◆
ウチの中だと必然的にリビングやキッチン
寝室に、お風呂やトイレと
部屋毎にある程度、暮らしていくための用途が決まってしまうけど
お庭には駐車場や物干し場なんかの
リアルな生活空間がある一方で
見て、触れて、育てて、食べて
遊んで、くつろいで、楽しんで、
五感で感じ癒されて…
住まう人、つくる(手がける)人の数だけ
多種多様な用途と庭があり暮らしに寄り添いながらも
いろんな可能性を感じさせてくれる空間だと思います。
○プライベートな自然。
○私にとっての庭は、『近くて遠い』です。
私の生れてからの環境・経験から
戸建の庭は、全く無関係で育ってきました。
山や森など無い大阪市内の賃貸長屋住まい
まわりはの住環境も市営の団地群
そんな中、私は一戸建てというものへの憧れは強く
住宅にはとても興味がありましたが、庭に対しては
あまり深い思いは当初ありませんでした。
縁がありエクステリア・ガーデンの世界で仕事をすることになり
後付け?のような形で、庭の知識・庭に対する思いを深めている途中です。
『家が好きだから!庭も好き』
なので、仕事で身近に庭に携わってはいますが
まだまだ、仕事として向き合っている状況。
今、距離を縮めている最中です。
○わたしにとって「庭」とはなにか、
家に庭ないけど....笑
一言で言うと「癒し」でしょうね。
外界と家との癒しの空間ですかね。
人間ももともと野生動物なので
植物の色や臭いを嗅ぐと落ち着く
DNAがあるのでは。
○自分にとっての庭
「ライブ ナウ」 ですかねー
◯庭について考えることはあっても、自分にとって庭とは、という風には考えた
ことがなかったので、見当違いな考えかもしれませんがご容赦ください。
身も蓋もない言い方をすれば今は「仕事場」です。むかし、この仕事に就く前はどうだったかなと思うと、中学生くらいまでは官舎住まいで庭はなかったですし、
庭という概念すらなかった気がします。一軒家に住みだして庭ができても、庭で何かをしたという記憶はあまりないです。たまにキャッチボールしたり、雪囲い手伝わされて文句言ってたり、除雪が大変だったり、そんな記憶しかないです。
社会人になってからも庭のない生活がほとんどでしたし、あえていえば駐車場ぐらいの印象だったかなと。
そんなことから短絡的に考えると、大多数の人が最初に庭を考えるようになるのは家を建てる時で、やっぱりまずは家ありきで庭は余った土地を埋めるもの、
という風になってしまうんでしょうか。それを庭と呼べるのかわからないですが。
結局、庭が何なのか良く分らなくなってしまうんですが、いまは自分の仕事場である庭を良くしたいという事ですかね。そのために、どうしたらお客さんにメンテナンスをしてもらえるか、というのが最近もっぱら考えていることです。
○・自然を使った「人工物」
・自然への贖罪
・勝てそうな自然、支配できそうな自然
・精神の拠りどころ
・飯炊いて食べて、風呂炊いて、トリに卵産ませて、野菜つくって、果実を採るところ
○僕の中のお庭とは
いろんな事の「はじまり」です。
カッコいいって?
道具をどうつかう?
最後に
「あなたにとって庭とは?」
world-architects* (イングリッシュな情報)